当社に伝わる白狐伝説
むかし、森下川より、津幡川にかけての村々には、これといった用水がなく、わずかな谷川の水で灌漑(かんがい)をしていました。
ちょっとした日照りでも田畑の水が不足するといった状態で、互いの田から奪い合うというような水争いが絶えませんでした。
そこで、津幡の浅田村に住む加賀藩の口廻り十村(とむら=特権を与えられた農民側の農政官)であった中橋久左衛門(なかはしきゅうざえもん)の力を借りて用水の開削にのりだすことになりました。
しかし、いざ取り組もうとした時水路の線引きに悩むことに…。そこで毎日、八幡山の波自加彌神社へ願掛けに参りました。
奈良時代、国造(くにのみやつこ)が祈願して満願日に水の恵みを得て干ばつの危機から救ってくれた神だということを久左衛門は知っていたからでした。
そんなある雪の朝。引き戸を開けると、なんと白狐がいるではありませんか。久左衛門は寝巻き姿のまま寒さも忘れ、狐の足跡をたどりました。
足跡は山麓沿いに残されています。波自加彌神社の前まで来ると、狐はスッと社殿の中へと消えてしまいました。
久左衛門が一心不乱にお参りすると白狐がまたあらわれ、ふたたび足跡を残して北の方へと進みます。どこへ行ったのか狐の姿はもう見えません。
川のせせらぎが聞こえるのでよく見ると、それは森下川でした。久左衛門はハッと気づきました。その足跡に従って水路を掘り進めよと。
さっそく改作奉行(かいさくぶぎょう)の許しを得て、水の恩恵にあずかる農民たちが交代で作業をおこない、30年の歳月を費やし、苦心の末ようやく完成しました。
いよいよ開通の日がやってきました。不動寺村にある取水口を開けると水は勢いよく流れて行きます。
しかし、波自加彌神社の前に来ると水はピタリと止まってしまいました。
これは、神様に教えてもらった水路なのに何の感謝の祭りもしなかったからだと、皆で相談し、ねんごろに用水感謝のお祭りをおこなったところ、雷鳴がとどろき大雨が降り出して再び勢いよく流れて行きました。
以来、毎年8月15日に「河原市用水・水道祭」として300年間欠かすことなく、感謝のお祭りが続けられています。
社前の河原市用水に架かる橋を瑞狐橋(ずいこばし)といい、水の恵みをもたらす狐という意味を込め名付けられました。